御一夜鉄道湯医線で唯一営業運転をしている車輌が、旧硬上鉱山鉄道出身のディーゼル(改造)気動車、キハ07sである。
丸みをおびた前面デザインとレトロカラーの塗色とは、専用レイルロオドのれいなともども、湯医線利用客たちに親しまれている。
かつては御一夜を代表する観光資源であった、クマ川下りの発船所。鉄道と御一夜とがもつれるように衰退するのに従って、クマ川くだりもまた客を減らしつづけている。最盛期には一〇〇人を数えた従業員も、今ではオーナーの娘とその友人の二人のみとなっている。
クマ川下りの、御一夜の船着場。上流の湯医には発船所、下流の渡利には着船所がそれぞれあり、夏季には、湯医-御一夜間で。水量の減る冬季には御一夜-渡利間で川下り船が運行されることが多い。 いつかの復活のため、船頭を失った船達もきっちり整備されている。
橋桁の朱も鮮やかな上路式プレートガーダー橋。景観に優れているのだが、ほとんど注目する者は無い。なお、クマ川橋梁、 ならびにクマ川第一~第三橋梁は旧帝鉄肥颯線上にあり、クマ川第四橋梁は建設順では五番目、かつ、湯医線上では唯一の鉄橋であったりもする。
御一夜市長と市職員たちの公務の場であり、市議会議場も併設されている。入り口を入ってすぐの掲示板には、「納税義務」という 四文字を子供たちが習字したものがいつでも掲示されており、これを目にしてギョっとするものは、他市民として認識される。
九洲を、日ノ本を代表する米焼酎・クマ焼酎。その最大最古の酒造元のひとつが、主人公・右田双鉄の養家、右田家の家業である右田一酒造である。右田一酒造はまた、「クマの右田の女杜氏」と歌われるように、代々、女性が杜氏を務めることでも知られている。
古い城下として知られる御一夜の町は、クマ川によって二分される、橋の町でもある。町の多くは近代化の波に抗わず、いわゆる地方都市にありがちな景観へと移行しつつあるが、職人街や焼酎蔵、味噌蔵が立ち並ぶ通りなどは、昔ながらの景観を今も留め続けている。
かつては三面五線を誇る、九洲を代表するターミナルだった地上駅。現在では一日二往復運行の湯医線の始発駅としてのみ機能している。駅本屋にはレールショップが併設されており、そこが駅舎機能ならびに御一夜鉄道株式会社の本社機能のほとんどを担っている。
大廃線の後、寂れる一方であった御一夜駅に、旧帝鉄から路線移譲を受けた(株)御一夜鉄道が、本社機能を持たせることと、観光案内の拠点とすることとを目的として新設した、瀟洒なレールショップ。が、御一夜市民には切符売り場としてしか認識されていない。
御一夜鉄道湯医線の終着駅にして、乗り継ぎ出来ない行き止まり駅。湯医には温泉医療施設と御一夜近郊唯一の学園とがある。どちらかの施設の利用者と、御一夜か湯医に勤務する通勤客とが、乗降客のほとんどを占め、観光客の姿はめったに見られない。
かつては九洲一の採炭量を誇った最新鋭の炭鉱だったが、エアクラ発展に伴う石炭需要の激減により一気に廃鉱にまで追い込まれた。その怨念でもあるまいが、術仙廃炭鉱近辺ではエアクラが作動不能に陥ってしまう。湯医線は、この現象に助けられ存続している。
かつての術線廃炭鉱近辺は、そこだけで生活需要の全てを満たすことが出来る大炭鉱町として栄えていた。その住人全てが暮らしていた巨大な鉄筋アパート群は、半ば風化し、御一夜の自然と同化する、異様な壮観を示しつつ、現存している。
大人三百円。子供百円で入浴できる公衆浴場。かつ、れっきとした天然温泉。二十三時までと遅い時間まで営業していることが特徴で、遅くまで仕事をしている人たちには憩いのスポットとなっている。番台の婆さんは、レイルロオド職人だったとも言われている。
明智四十四年に建てられた、御一夜温泉駅のシンボルともいうべき石造平屋建ての機関庫。転車台も併設されている。よく見れば建築様式は一様ではなく、鉄道の隆盛に伴い、まずは機関区、次に客貨車区と、順次の増設が為されたことを確認できる。
青息吐息の御一夜鉄道株式会社を、職人技で支える老鍛冶屋の経営する鍛冶店。古くは農民鍛冶だったが、図面さえあれば鉄道部品も鍛造し、また、親類の鋳造所に鋳造を依頼してくれもする。観光客向けに包丁づくり体験教室なども開催している。
かつては九洲一の採炭量を誇った廃炭鉱の、玄関駅。湯医線でもっとも栄えた駅だったのだが、エアクラの発展、石炭需要の低減にともなっての炭鉱閉鎖により、廃駅となってしまった。衰退が急激であったため、周辺設備は残ったまま無人化している。
御一夜市民にとって一番身近な「神社さん」。それが、赤井阿蘇神社である。鬼の面を要所に配する「鬼面造り」と呼ばれる特徴的な建築は見事の一言。また、千二百年の歴史と五百社以上の分社とを誇り、文化財的にも高い価値を持つ神社であるとも言われている。
衰退しつつある御一夜の観光復活のための一助となるよう、十年ほど前に建設された、見事なステンドグラスが特徴の銀行支店。が、御一夜市内唯一の銀行であることもあり、一種威圧的なシンボルとして見られることも。なお、観光客は全く増加しなかった。